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七転び八起きエピソード

12歳 シェフのキッカケは清里のペンション

小学校の卒業旅行で行った清里のペンションで「宿泊者ノート」を読んで、「人を幸せにする特別な時間を提供するペンションの仕事はいいなぁ」と思った。そこでペンションのオーナーに「この仕事をするために必要なものは何か」尋ねたら、「調理師免許」と言われ、このとき加藤に「将来はコック」と刷り込まれた。
しかし中学生になるとすっかり忘れ、特に熱中するものも夢もなく、高校でも遊びほうけ、つまらない日々。やがて高校卒業が迫り、働くことから逃げたいばかりだったある日、友人が調理師学校に行くことを知り、「将来コック」と思っていたことをハッと思い出した。

18歳 コワい先生に憧れてフレンチの道

調理師学校でも勉強せず座学は全くダメ。でも実地担当の谷ノボル先生はとにかく怖くてカッコよかった。怒るのもフランス語で怒鳴る。あの鼻に抜けるようなフランス語が、谷先生だと切れ味鋭くてカッコいい! それまでは和食に進むつもりだったのに、一気にフレンチへ心傾く。
憧れていた谷先生からは一度も褒められたことはなかったし、加藤は一つずつの作業はヘタ。ただチーム作業だと完璧で、もしかしたら自分はチームのまとめ役のほうが向いているのかなという気がしていた。

19歳 「検討の余地はありません」で新米シェフ

卒業後は吉祥寺のステーキ店『葡萄屋』を紹介され、履歴書を送ることになったが、加藤は不真面目だったので、コックになってもどうせすぐやめると周囲からは思われていた。だから「今に見てろよ」という気持ちで、履歴書は送らずに自分で葡萄屋に直接持って行った。当然、先方は唖然として「検討しとく」。これで検討されたら絶対に採用されない、と思った加藤は「検討の余地はありません。僕はここで働くんです。明日から来ます!」と強引に言い切った。呆れられつつ、とりあえず採用。履歴書は送るものじゃない、自分で持っていくものだ、というのが今でも持論。

21歳 「お前バカか!」作戦で難関を突破

酒井宏行さんの『ラ・ロシェル』 に転職を考えていたが、「面接さえしてくれない難関」と聞いていた。そこで加藤は、アポなしでジーンズ&Tシャツで店を訪ね、「酒井さんに会わせてほしい」と直談判。店側から「非常識だ。アポは取ってあるのか?」と追い返されたが、「アポって何ですか。では電話します」と、直後に店の下の公衆電話から「今からお会いできますか」と電話を入れた。
ついに酒井さんが現れ、常識はずれでTシャツ姿の加藤に「お前はバカか!」と一喝。その瞬間ヤッタ!と加藤は思った。無難なスーツを着て常識的な順序を踏んでも面接さえしてもらえないと思い、覚えてもらうために、あえて突飛な行動に出た。またもや「明日から来ます」で採用となった。

24歳 フランス修行で備わった「集中力」と「自分で仕入れる意識」

フランスでは、料理の技術面で劣等感を抱くことはなかった。さすがに肉料理は歴史の長いフランスがウワテだが、フランスが大胆で濃厚なのに対し、日本の繊細さ、器用さはすごいと感じた。
加藤がフランスで学んだのは「集中力」。企業風土としてオン・オフが明確で、どんなに忙しくても、昼休みの時間になると強制的にクローズし、仕事は絶対にしない。そのかわりに集中力がすごい。仕事がセクション制のため、役割に徹底集中できる。階級社会の上下関係もハッキリしていて、シェフ間でも上下の立場は天と地の差。でも人格は同等で、実地研修の10代の学生でも、指導者に対して自己主張するし、反論もする。加藤も負けじと日本語で「ウルセー!」と言い争ったが、あと腐れがなかった。
そして人間関係を大事にする風土で、食材は全て自分で仕入れる環境だった。ここで「自分で仕入れるもの」という意識が加藤に根付き、生産者と大事につきあう、この姿勢を今も貫いている。

31歳 徳島の実生のすだちに、カルチャーショック

接ぎ木ではなく自分の種で育つ「実生」のすだちは希少価値。どうしても手に入れたくて徳島の市場を訪ね歩き、山本コウイチ氏にたどり着く。喫茶店にいる山本氏に「実生のすだちはないか」と聞くと、一言「ねーよ!」 粘る加藤は翌朝、同じ喫茶店に行き、山本氏を待つ。やがて現れた山本氏は突然、加藤を連れ出し一軒の農家へ。そこには樹齢400年以上の実生のすだちの木!一ついただいてみるとバニラの味がして格別だった。
そこで加藤は「来年これが欲しい」とお願いすると、「お前今まで何回風邪ひいた? お前の10倍以上も生きている木の来年はわからない。同じものを来年も欲しいというのはわがままだ」と言われ、加藤はこのとき「自然や作物は人の思うようにいかない。その歴史に人はかなわない」と知り、カルチャーショックを受けた。食に対する考えが変わり、今の加藤の原点となった。

40歳 くも膜下出血で、料理人・加藤が生まれ変わる

地方出張の前夜、猛烈な頭痛に襲われ急に視野が狭くなり、心臓もドキドキし始めた。横になれないほど頭痛が激しくなったので、早朝5時に近くの救急病院に自分で車を運転して行った。いきなり瞳孔検査、そしてCTの撮影中に「くも膜下だ」という医者の声が聞こえ、「ああ死ぬんだ」と加藤は思った。幸い、患部の場所が良く、手術後「大丈夫です」と何度も言われたのに、最期だと思い込んでいた加藤は余命を隠されていると疑っていた。
4カ月の入院を経て、養生しながら仕事に復帰した矢先に、東日本大震災が起きた。震災で一瞬で奪われてしまう命。自分のように一命をとりとめた命。命は一瞬でつぶれてしまうけど、1ミリでもつながればそのパワーは果てしない、その命の不思議さを加藤は感じた。
命を拾った加藤は、少しでも恩返しをしなくては、と使命感にかられ被災地支援に向かった。被災地に行ったご縁で、嚥下食の仲間にも出会い、バリアフリーに興味を持つようになった。この経験のお陰で、加藤は料理人として生まれ変わった。